★ ☆ ★ ◇ 信仰とは: 神や仏などを ◇ 心の迷いなどを救う究極の拠(よ)り所として ◇ 理屈を超えて信じること ◇ ・・・と辞書には書いてあります ◇ 理屈(世の多くの人が当然とする考え方)を超えて"信じる"こと ◇ つまり、信じるとは理屈を超えて"知る"ことなのです ◇ 知らずして何も信じる事は出来ません ◇ あなたは、何かを信じたいと思っても ◇ その何かを知らずして信じることが出来るでしょうか? ◇ 出来ないと思います ◇ そして、あの手この手を尽くして ◇ その何かを知ることが出来た時 ◇ 初めて心の奥底から信じることが出来るのではないでしょうか? ◇ しかし、その何かを知るためには ◇ あなた自身の内的準備状態や ◇ 苦悩する能力が、その何かというものの ◇ レベルまで深められていなければなりません ◇ ・・・最近、「自分さがし」と言う言葉をよく耳にします ◇ 自分さがしとは何でしょうか? ◇ それは、本当の自分を"知る"と言うことです ◇ あなたは自分でありながら、自分のことが解らない? ◇ 解らない自分で生きていて、その何かを知ろうとしている姿があるのではないでしょうか? ◇ 自分を知らずして、どうして何かを知ることが出来るのでしょうか? ◇ 先ず、本当の自分を知ることです ◇ 本当の自分を知ったとき、知るものも、得るものも何もなかった ◇ 全ては自分の”裡”にあったと言うことに気づきます ◇ 何故ならば、あなたはまだ宇宙がなかった以前から ◇ 実在としてあったものだからです ◇ ★ ☆ ★ ◇ 人は非常に美しい景色を観れば ◇ それをキャンバスに描き度くなるものであるが ◇ その結果は只その写しでしかなく ◇ 実物とは全く比較にならない ◇ あなた達の場合も ◇ それと同じである ◇ 本物は美しい景色を表現している ◇ そのものの裡にあるのであって ◇ そこにこそあなた達は真我として ◇ 実存するのである ◇ 外側のものは写しにしかすぎず ◇ 五官を通じて外界に反応する心の技巧のために ◇ 真我がボヤけさせられているのである ◇ ★ ☆ ★ ◇ あなたたちの本質が ◇ 神我であることが ◇ 天によって知られているように ◇ あなたたちが自分自身の実態が ◇ 神我であることを明確に知った時 ◇ あなたたちは胸の中で ◇ 「事、成れり」 ◇ と云うようになるであろう ◇ しかし ◇ 残念にも分離と混迷とが ◇ あなたたちの中に ◇ その闇の王国を打ち立ててしまった ◇ ★ ☆ ★ ◇ 神とは ◇ 人間の姿を取った ◇ 『愛』 ◇ であることを知らねばならない ◇ 『愛』 ◇ が敗れることは決してなく ◇ 『愛』 ◇ はすべてのものを新たならしめる ◇ 石や岩までが神の創造の不思議さを現している ◇ 露の一滴々々が神の法則に従い ◇ その久遠なる目的を果たしているのである ◇ ★ ☆ ★ ◇ わが国の偉人達の生涯を辿ってみれば ◇ 彼らが如何にして実相界において既に完成しているものを ◇ 現象界に現れぬ前に受け取っていたかが解ります ◇ 即ち ◇ 潜在意識の奥深くに完成の道は既に存在していたのです ◇ 彼らは一切の制約感に煩わされることなく ◇ 実相の中に既に実存していたものを顕現することができたのであります ◇ 神即全体との分離意識が完全に無くなれば ◇ わたしたちは原理そのものとして立つことになるのであります ◇ 欠乏を立てるのではなく ◇ 神を立てればどうして欠乏し得る筈がありましょう ◇ 原理とは調和であり ◇ 明確な法則(複数)に従って流れるものです ◇ 人間はこれらの法則を学ばなければなりません ◇ ★ ☆ ★ ◇ 神性なるものとはすべてのもの ◇ すべての形あるものに宿る神のことです ◇ キリストとはこの内なる神性を実現する力のことです ◇ してみれば ◇ すべての人々の姿形や ◇ すべての形態の中にキリストが窺える道理です ◇ この事が実は ◇ イエスの最初の宣教の一つだったのです ◇ 私達は研究の途上でこの事を発見しました ◇ 『わたしはすべての人 ◇ すべての形あるものにキリストを観る ◇ 初めて地上に人の子が生まれた時が ◇ キリストの生まれた時である』のです ◇ ★ ☆ ★ ◇ 「神の英智」に至る道に入る資格ができたと感じるようになってから ◇ いわゆる偽我の克服をやろうなどと思ってはならぬ ◇ 今すぐ ◇ 光りの中に歩み入り ◇ 光りによっておのれのニセモノを焼き尽くすことである ◇ いろいろな自分の欠点 ◇ 病気 ◇ 望ましからざる状態を放下することである ◇ 光りに向え ◇ そうすればこれらの状態はもうなくなっているのである ◇ ★ ☆ ★ ◇ 愛は自由又は完全円満への回復剤であります ◇