大城努Bolivi-のホームページ

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心 の う た    大 樹

信仰とは: 神や仏などを 心の迷いなどを救う究極の拠(よ)り所として 理屈を超えて信じること ・・・と辞書には書いてあります 理屈(世の多くの人が当然とする考え方)を超えて"信じる"こと つまり、信じるとは理屈を超えて"知る"ことなのです 知らずして何も信じる事は出来ません あなたは、何かを信じたいと思っても その何かを知らずして信じることが出来るでしょうか? 出来ないと思います そして、あの手この手を尽くして その何かを知ることが出来た時 初めて心の奥底から信じることが出来るのではないでしょうか? しかし、その何かを知るためには あなた自身の内的準備状態や 苦悩する能力が、その何かというものの レベルまで深められていなければなりません ・・・最近、「自分さがし」と言う言葉をよく耳にします 自分さがしとは何でしょうか? それは、本当の自分を"知る"と言うことです あなたは自分でありながら、自分のことが解らない? 解らない自分で生きていて、その何かを知ろうとしている姿があるのではないでしょうか? 自分を知らずして、どうして何かを知ることが出来るのでしょうか? 先ず、本当の自分を知ることです 本当の自分を知ったとき、知るものも、得るものも何もなかった 全ては自分の”裡”にあったと言うことに気づきます 何故ならば、あなたはまだ宇宙がなかった以前から 実在としてあったものだからです 人は非常に美しい景色を観れば それをキャンバスに描き度くなるものであるが その結果は只その写しでしかなく 実物とは全く比較にならない あなた達の場合も それと同じである 本物は美しい景色を表現している そのものの裡にあるのであって そこにこそあなた達は真我として 実存するのである 外側のものは写しにしかすぎず 五官を通じて外界に反応する心の技巧のために 真我がボヤけさせられているのである あなたたちの本質が 神我であることが 天によって知られているように あなたたちが自分自身の実態が 神我であることを明確に知った時 あなたたちは胸の中で 「事、成れり」 と云うようになるであろう しかし 残念にも分離と混迷とが あなたたちの中に その闇の王国を打ち立ててしまった 神とは 人間の姿を取った 『愛』 であることを知らねばならない 『愛』 が敗れることは決してなく 『愛』 はすべてのものを新たならしめる 石や岩までが神の創造の不思議さを現している 露の一滴々々が神の法則に従い その久遠なる目的を果たしているのである わが国の偉人達の生涯を辿ってみれば 彼らが如何にして実相界において既に完成しているものを 現象界に現れぬ前に受け取っていたかが解ります 即ち 潜在意識の奥深くに完成の道は既に存在していたのです 彼らは一切の制約感に煩わされることなく 実相の中に既に実存していたものを顕現することができたのであります 神即全体との分離意識が完全に無くなれば わたしたちは原理そのものとして立つことになるのであります 欠乏を立てるのではなく 神を立てればどうして欠乏し得る筈がありましょう 原理とは調和であり 明確な法則(複数)に従って流れるものです 人間はこれらの法則を学ばなければなりません 神性なるものとはすべてのもの すべての形あるものに宿る神のことです キリストとはこの内なる神性を実現する力のことです してみれば すべての人々の姿形や すべての形態の中にキリストが窺える道理です この事が実は イエスの最初の宣教の一つだったのです 私達は研究の途上でこの事を発見しました 『わたしはすべての人 すべての形あるものにキリストを観る 初めて地上に人の子が生まれた時が キリストの生まれた時である』のです 「神の英智」に至る道に入る資格ができたと感じるようになってから いわゆる偽我の克服をやろうなどと思ってはならぬ 今すぐ 光りの中に歩み入り 光りによっておのれのニセモノを焼き尽くすことである いろいろな自分の欠点 病気 望ましからざる状態を放下することである 光りに向え そうすればこれらの状態はもうなくなっているのである 愛は自由又は完全円満への回復剤であります 完全円満なるものは意識の中にのみしかないことが解ります 自分が接したことのない人については 何らの不完全感も自分の意識にはないものです ところが誰かと接触してみて その人に何らかの不完全な状態を認めた途端 こちらの意識にその不完全さが入り込んできます だから自分の心の中に元の完全な調和が回復するためには この様な意識状態は払拭しなければならないわけで それには愛のみが唯一の取るべき心構えであります 何故なら愛こそは普遍的溶剤だからです それはあらゆるものを神の宇宙計画の中における その本来の状態に回復してくれるものです この方法によってのみ人は自由となり かくしてのみ人は相手を又自由とならしめうるのであります ある一人の人間が壁の非常に狭い孔から人生を見てこう云います 『わたしは生命のすべてを見た』と ところが彼の目は岩だらけの丘に向かったのかも分からない 次の人は木だけを見 その次の人は動き廻っている動物だけを見たりする 生命という広漠たる宇宙を小さな孔だけから覗いたのでは 自分に見えたもの丈が全部だと 自己催眠し盲信するのに手間暇はかかりません もしこのような態度で終始しようとするのであれば それは誤りであり それはすでに生命ではなくなっています 宇宙が唯一無限生命の無限に多種多様なる具体化であり 表現であることをよくよく見定めることです そうすれば人々のヴィジョンは拡がり すべての生命を受け容れ 最早わたしたちを限るものはなくなるでしょう 唯一真生命の他に生きるべき生命 或は生き方があると心の中で思った時には もうわたしたちは完全に調和から外れてしまっています 問題は 常にわたしたちの心の持ち方にあるのです 元来人間は霊的には即ち 実相においては堕落したことも死んだこともないのであって 只自分で生命と調和しなくなった丈であり これが結局わたしたちのあらゆる災禍厄難となってくるわけです 生きる事が難渋となったとき それはすでに生命ではなくなっています 何かの不調和が出た程度だけ その人は真生命から外れているのであります わたしたちは自分の生きる生命 生活はすべてこれ神の生命 生活なり との純粋なる態度を取り 生命・生活を高揚する様に真生命そのものを生きるならば 真生命の全機を把握せずにはおれないものです 生命とはそれ自身を外に押し出して具象化しようとする 内なる力の一行程です それは一切の空間と 一切の形あるものとに 生気を与える宇宙の活動原理なのです




すまれさ出が「答解」てっよに力るな裡のら自 ?かのな要必に当本は養供祖先 きとたれら得がえ答のそ、てし求追を分自の実真 し究探を理真ら自をみし苦み悩、なうよのそ 汝るた我るれらおでん悩で養供祖先、てしそ 汝るた我るいてれた持を問疑に生人 汝るた我るいてれさをしがさ分自在現 いさ下覧ごを"分自の革変"のジーペムーホ はとこのそ すでのたきで解理が味意のそ てっよにとこるす求探を"理真"ら自、てしそ たしまし中集みのに力努のめたる得を答解のそ ?かのもるな何如はみし苦み悩すらたもに間人、で因原がとこなうよのそ ?かのるあに処何は因原のそ ?かのるこ起故何が事なうよのそ ?かのな何体一はのもるす盾矛のそ ずら配を気はにとこの外以れそ は我るた汝いた得を答解のそもてしうど、しかし たっかなきで解理はに私、の(六小歴学)頭スカンポ ?かのな旨趣の・・・ "ずら創を人に下の人、ずら創を人に上の人は天" がとこたし盾矛な様のそ かのう合し殺が士同間人じ同故何は人、てしそ 見偏や別差るいてし行横に的界世、にれそ るいが人乏貧、ばれいが人な福裕 るいが者害障、ばれいが者常健 もでに処何中界世ばせ渡見を中の世、しかし るなにとこう言とだ等平なんみは人、はとこう言と・・・ う言と "ずら創を人に下の人、ずら創を人に上の人は天"

変 革 の 自 分

(*^_^*) (^o^) (^_^)v 父はみ霊にして み霊は生命である 生命は愛にして 愛はありとしあらゆるものの中にある生かす力であり あらゆるものの中にある調和である ではわれわれが神意識に達したければ 愛の中にあって すなわち 自分が愛その者になって 『汝の隣人を己を愛するが如く愛せよ』 としなければならない (*^_^*) (^o^) (^_^)v 宇宙のすべてに行きわたる内なる『光』は 自己の裡なる〔潜在意識〕を観ずる霊視力が 発達するにつれて見えるようになる 内なるものは外なるものとなり 外なるものは内なるものとなる 心の中で感ずるものが その通り外に現れるのである (*^_^*) (^o^) (^_^)v あなたは何処か体の具合が悪くなった時 病院へ行き お医者さんに診て貰い その結果 病気の原因が分かり 薬を貰って病気を癒します そして病気が癒された時 この薬はよく効くとか あまり効かないとか… と言いながらも 病気を癒しているのはこの薬だと そう思っていませんか? 実は その薬が癒しているのではないのです 何故なら その薬という名称はそのものではなく その薬を媒体として癒しているのは神我(キリスト)である 故にイエスはこう申された 『人々は二千年前におきた「イエス」の癒しに神秘の思いを抱いているが 現在あなた達の間でおきている癒しと殆ど変わりはないのである 只一つ変わっていることは 「神癒の媒体」として使われているのが「イエス」とは別の人物の場合もあり得るという事実である しかし癒すのは同一の神我である』と (*^_^*) (^o^) (^_^)v 多くの医学者たちは 将来の人間は今よりも百年は長生きすると言っておりますが 年齢なんて実は単なる意識の状態であって 老齢という意識を捨ててしまえば何時までも生きて行けるのです わたしたちの方で ああ一年たってしまったなあ と言わないかぎり 一年位わたしたちの想念構造の中では別にどうということもないのです ところが一年たってしまったなあと言った途端に 一年分だけ年寄りになってしまうのであって そのような事をせずにその一年をより大いなる完成の年 より大いなる完成と偉業の年と考えるようにすれば 全くその通りになるものです すべての人の姿形 すべての形あるものに神性を見ることこそわたしたちの為しうる最も偉大なる行為であります すべての人の中にキリスト或は神の子を見ることこそ吾人の最大の特権であり それはそのまま内なる神を知る無限の力を意味するのであります 以上申したことは今でもそれを証明することが出来ます こういう話を皆さんが聞いて只「そんなものかなァ」と思うだけで終わって貰いたくはありません 皆さんが老齢とか ままならぬとか その他一切の否定的な考え方を棄て 自分の生活においてそのような消極的な考え方をしたり 消極的な言葉を使ったりすることを拒否してしまえば 成る程と納得の行くことが出てくるのであります わたしたちは三千年程前に使用されていた言語には 何ひとつ否定的な言葉がなかったことを歴史的に知っています その言葉は更に又 過去二十万年以上にわたって遡れるのであります (*^_^*) (^o^) (^_^)v 人間には最初から神性・仏性が備わっている 神・仏そのものである その顕現を邪魔するのは かたくなな自我と価値観である 人間は自分自身の力で 思考し 判断し 決断することが自由に出来る存在である 人間は自分自身を生かすも殺すも癒すも その人間自身の責任においてのみ行うことが出来ます (*^_^*) (^o^) (^_^)v 愛の要素なくして『彼らを緩め放つ』ことは不可能です 自他の何れに対するにせよ 憐憫は解放の道ではありません 憐れみは反って自分を不完全に一層近く縛りつなぐものです 自分を憐れめば結局自分自身を益々強く不完全に縛りつける様になり 他の人に対する憐れみも又同じ結果となるのであります 憐れみはすべて問題を その事態の低い状態まで落としてしまうが 真実の愛は同じ事態を宇宙におけるその正当なる地位にまで高めるものです 愛こそはおよそ人の持ちうる最高の思念であります イエスは御自分とその周囲の人々一切を愛によって高めました まことにも愛こそは宇宙の本質そのものです 完全なる愛の中にあってこそ一切のものは合一して普遍する全体となるのであります (*^_^*) (^o^) (^_^)v 今迄友人と思っていた者があなたに何か大きな悪い事をした 害を与えたとしましょう それでも相手があなたから完全な愛を感ずるならば 自体はガラリと変わるものです この様なことは人間としての義務ではなく特権なのです 特権はわれわれの奉仕一切を促す最大の動因です 自分の敵を愛し彼らを高めることはまさしく特権であります 何故ならその事により自分自身が高まるからです 自分の敵を高め(汝の敵をも愛せよ) 而も彼が自分よりも高い境地にいる様になるのを見ることこそは この世における最大の高揚であります (*^_^*) (^o^) (^_^)v 生命は進歩する為のものであって 一般に解されている様な利得の為ではない 利得は私たちの進歩によって生ずるものであって その進歩は生命表現の種類と質とによって決まる 表現といっても自分自身の限られた考えを始終投映することではなく 自分自身の性質の一番深い所から出てくる衝動に忠実に従って生きることでなければならない いわゆる「必要」とか「便利」とか称するものに妥協した時始めて 私たちは是非曲直を直感する内なる力に反きだす (*^_^*) (^o^) (^_^)v 生命の偉大なる普遍的な働きにこそ 生命の実相を見出す努力をなすべきである この働きは 最高の理念と最奥の憧憬を堅持したとき それを通してその人の性情の中に現れる 生命を自分の限られた尺度で計るからこそ その現れかたも又限られる様になる 自己の必要とする物財はこの普遍生命に頼ることである (*^_^*) (^o^) (^_^)v 子供達は物事を本能的に知る 子供の知りたいと思う多くの無理からぬ疑問が その子供達を導くべき筈の大人の無知のために 答えられないままに放置されている これらの疑問は改めて尋ね直されることもなく 恐らく一生答えを得ないままに終わってしまうでしょう (*^_^*) (^o^) (^_^)v 原因と結果とは一つであり 真理を知ることは直ちに自由となることである 神を健康そのものと知る事は直ちに自分自身が丈夫になることである 神を供給と知ることは直ちに受給することである 何故なら前者は後者を予想する 云い換えれば 前者は後者を含むからである (*^_^*) (^o^) (^_^)v 

????  講 話 集  科学に観る真理 文学に観る真理 02.12 up  御 伽 話    ????

 
予 備 知 識


掲 示 板


電光掲示板


(^_^) (^o^) (^-^) 主(神)という言葉を口にするとすぐ人々は自分を措いて外に主を探し始めるものですが自分の外に主を求めた瞬間私達は吾が内にこそ主のいますことを忘れ去ってしまっているのです人類は今日まで神を外に求めることあるいは神を外に見ようとすることによって最大の誤ちを犯してきています何故かそれはまさに吾が内にあるものを外に探し求めるからです自分自らが神であると明言すればその都度あなたはまさしく神になっているのですもしあなた方が例の強化増幅装置の前に立って『神』という言葉を発するならばあなたがたの肉体はこの言葉を発する前の波長に又とは戻らぬことをお目にかけることができますもう一つ神という言葉が心をこめて用いられている本があればその言葉のゆえにその本には一層の輝きが出ることもお目にかけられます(^_^) (^o^) (^-^) 東洋人はこと宗教思想に関する限り決して理論を弄 (もてあそ) ぶことをしませんむしろそれが理論でないことを事実によって証明するのですそのことによって彼はその事実そのものを成就しその事実の中に含まれている色々な可能性(複数・その一、例えば、わたしたちは今まで自らを人間だと思い込まされてきた、 しかし事実は神である。その可能性)を成就するのです東洋の哲人が喋々と理論を語っている姿を見かけることはありません彼らの話の基礎は常に真実に置かれていますこの真実をキリストは『われと吾が父とは一つなり』と明瞭に啓示され御自身と全体との一体性を貫き通したのでありますこれが成功をもたらした生き方に依って生ずる基盤であり人はこの全宇宙と自分との一体性を悟り且つその悟りを維持する程度に応じて自分を地上の存在界に送り出したエネルギーを発揮するのでありますこれが純粋宗教或は純粋形而上学の観点から適用した量子論の基礎であり東洋の哲人たちが量子論に多大の注意を払うのもここにその理由があるのであります東洋の哲人から見れば世界の科学者は幾千年もの長きに亙って保持されてきた東洋の宗教思想の根本に復帰しつつあるのであります(^_^) (^o^) (^-^) 宇宙膨脹説は正確ではありません但し宇宙が人間の想念の中で膨脹しているむしろ人間が自分の宇宙観念を膨脹させているという点丈では正しくあります宇宙は調べてみると何時も人間が想像しているよりは大きいのですしかし実は宇宙はその人自身の観念に従って膨脹もし又縮小もしているのであって宇宙自身が膨脹や縮小をしているのではありません何故なら宇宙は無限の総和だからです宇宙と云えば一個の太陽系のことと考えている人が大部分ですが太陽系なんか無数の太陽系より成る一宇宙の中の一細胞一原子にすぎないのです(^_^) (^o^) (^-^) 宇宙生命力(プラナ)があらゆる状態あらゆる原子を取り巻き且つ貫いていることこの生命力を呼吸によって体内に取り入れ得ることは今日ではよく知られた事実ですわたしたちのすべての行為をこの生命力に合わせわたしたちの為す想念一切をこれに調和させることができるものです『この生命力を呼吸によって取り入れ得る』というところに注意して頂きたい呼吸とは云ってもただの呼吸行為によってこの宇宙生命力を体内に吸入するのではありません(訳者の体験では健康増進等の目的を以てプラナ呼吸をする時は、吸入の速度が余りにも緩やか過ぎると効果は極めて少ない。普通の深呼吸の速度よりやや遅目が最も効果的であるようである) 呼吸をしながらこのプラナに深い注意を払うのでなければ効果はないのですこのプラナは物質的形而下の空気よりも極めて精妙なので単なる肉体の生理過程の影響は全く受けません丁度単なる肉体の呼吸作用だけでは電気を体内に吸入できないようなものです勿論後者の場合呼吸する毎にある程度の電気が体内に取り入れられる事はあるでしょうプラナ〔宇宙に遍満する、超感覚的生命要素〕とも云われるこの宇宙力にもそういう場合はあります処でわたしたちが何かに注意を払うと注意を払われた対象はすべて心に印象づけられ次にはこの印象が観念となり観念がやがて言葉となって外に出るものですこれは一種の心の呼吸作用とでも云うべきものでしょう一方わたしたちには自分という存在のあらゆる部分を完全にしたいという「深き憧憬」とも云うべき「内的注意」がそなわっています「 外的注意」がこの「内的注意」と結び付くと云い換えればセネカのいわゆる『魂の窓』のように「内的注意」が何時も外なる宇宙の完全さに向けられると周囲にある宇宙力(複数)の諸要素が自分の体内に入ってくるのであります神秘家たちは一心集注が宇宙力を取り扱う際の成功の秘訣である事を常に教えています『内なる息』と呼ばれるものを実現するには周囲の霊的〔超感覚的生命要素〕への深い真摯な一心不乱の注意と完全にゆったりした肉体と一切を吸収せずんば止まざる関心と心の完全な開放とが必要でありますこれが即ち『魂の呼吸』云い換えれば『真我』をその故里の超感覚的生命要素相互貫通する生命力シュタインメッツのいわゆる霊的〔超感覚的生命要素〕の中へ拡大させて行くことでありかくしてプラナは一心集注の働きによって人間の全存在の中に吸い込まれるのであります(^_^) (^o^) (^-^) もし人が合衆国の憲法に従いあらゆる人に生命と自由と幸福とを追究する権利を与えるならば彼(表現者)は憲法以外のあらゆる法律に自動的に従うことになる筈である最高の法則(愛=赦)に従うことは自動的に他のあらゆる法則(ルール)に対する一切の義務を果たすことをも含む宇宙の法則は愛であるもし人が神と人との本来一体である事を自覚し愛によって動くならばそれ以下の法則に反することはしなくなるであろうその意味で彼は無限に自由な何物にも制約されない行き方を自然とするようになりこれらの下級法則の現れによる束縛感は一切なくなるであろう(^_^) (^o^) (^-^) 人体は神を表現する手段であって人間の知っている神霊を表現する手段としては最大最善のものです只あなたの為にのみ各瞬間毎に神を表そうとして体が此処に在るのですそれは物質性催眠現象心霊現象を現す為でもなく鬼面人を驚かす如き現象を見せる為でもなく実に神のみ霊を表す為なのですあなたは神であるあなたは一寸でも神より離れる訳には行かないのですあなたが神より離れる事を一切拒否するならばあなたは一切の物質的状態や心霊現象から解脱するでしょうこれこそが人間が唯一の存在唯一の力〔神〕を領解し体得する方法でありますすべては一つであり一つの力一つの実在があるのみですあらゆるものがこの一つの力一つの存在のもとにそれ自身の法則に従って作動していますそれ自体は他のどの様な思想にも汚されることなくそれ自身永劫不変のままそれ自身の完全なる領域において動いているのです(^_^) (^o^) (^-^)






                                                    


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